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今夏もまた広島に行き、演奏を通して平和を考える機会を頂きました。大音量の蟬時雨を聞きながら、71年前の夏に思いを馳せます。
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今年5月、現アメリカ大統領のオバマさんが広島に来てスピーチをしたことは、戦後の日本にとって何よりも大きなニュースだったと思います。スピーチを流すニュースを見ながら涙が止まらなかった。なぜなら、彼が日常愛を知っていたから。アメリカの大統領が日々の小さな愛の溢れる挨拶や、食事時の会話の慈しみ深さを知っていたから。それを一瞬にして奪われたことの悲劇の深さを知っていたから。ニュースを見て泣くなんて人生初めての体験!
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日本人は世界初の悲劇を前に耐え忍んで、闘い続け、こんなに発展させてきたのだなと、これまで日本を創ってきた先輩方への尊敬と感謝の念を強くせずにはいられません。

何度伺っても衝撃的な原爆資料館。
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子供には衝撃が強過ぎるから展示を辞めようと話題になった模型があります。何を言ってるんだ!目を背けたくなるような、恐怖で二度と目にしたくないような、こんなことが現実に起こったんだ、事実から目を背けるな、むしろ、目に焼きつけろ!と言い合いながら、友人と見学。怒りと悲しみで感情が揺さぶられ涙が出ることもしばしば。

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今まで余り心にとめなかったパネルがありました。原爆が投下され、75年は草木が生えないと言われた大地に、たったひと月後、真っ赤なカンナの花が咲いたのだそう。何という奇跡。何という希望。

土の力を信じよ、大地を讃えよ、と謳う大木惇夫の「大地讃頌」を思い出します。そして三枝ますみの書いた「黄色いカンナ」を思い出しました。

黄色いカンナはお庭のあかり
ほっかりやさしい花あかり
そこからひぐれがひろがると
私もやさしくなるのです

お庭に花が咲いた、あぁ、夕焼けだ、綺麗な空の色、夕暮れ時のこの匂い、心が緩和し、優しくなれる ーこんな気持ちが世界中に広がればいいのに。人々が小さな小さな幸せを感じられるカンナの花を、どうか世界中に咲かせてください。

戦争は地球上からなくならない。でもどんな人も、差はあれ日常愛を知っている。それでも残念なことに怒りの方が強いエネルギーを持っている。文化のあるところに争いは起こらない。でも貧困の厳しいところには文化は届かない。誰か、本当の平和を発明してください。
「過ちは二度と繰り返しませぬから」
この我々の応えの句が、虚しく広島の夜の空に消えていきます。
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# by komaiyuriko | 2016-08-03 23:29

黎明は広がり

今日は7月17日、芹沢文子先生の一周忌でした。
先生の妹さんのご厚意により、先生に所縁のある方の集まりに参加させて頂くことができました。
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このブログも喪が明けます。
Puisque l'aube grandit, puisque voici l'aurore
実際、喪のつもりで更新しなかったわけではありませんでしたが、なんだか先生が亡くなるという嘘みたいなことが起こったのち、パッタリとブログを書く気が無くなってしまっていたのでした。思えば、このブログを始めたのもパリ留学中。両親と先生に私は元気です、ということを伝えるために始めたようなものでした。今日、妹さんから「お部屋を掃除していたら、駒井さんからの絵葉書がたくさん出てきたのよ。こんなに熱心にパリから書いてくださったんだなと感心しちゃって。そしていつも文子先生は駒井さんのコンサートに出掛ける時は、鼻高々で、わざわざ宣言して自慢気に出て行きましたよ。」とお言葉をかけて頂きました。感激で体が震えました。

あれから私にとっては大変なコンサートが続きました。東京文化会館でのリサイタル、サントリーホールで木下牧子さんをお呼びしての《蜘蛛の糸》、そして昨日、リリアでのハイドンのオラトリオ《四季》。その他色々あるコンサートの準備と共に迎えるこれら3つは、到底自分にはできるような気がしなく、ネガティヴなことばかり考えてしまう傾向にありました。それでも全てを無事に終え、そして今となっては自分の血となり肉となり、良い思い出と素晴らしい経験になっている……。そりゃそうです。芹沢先生のご加護があるんだから!

いつもそれに気がついていれば、安心してその日を迎えられるのに!鬱々と暗いトンネルを進み、やっと光射す下界へと出られます。その連続。もう、取り越し苦労(笑)!芹沢先生の名言「一寸先は光」。そうでした、そうでした。

それでも、いつもながらのその作業があっての娑婆ですからね。昨日の《四季》での言葉は、これを歌わせて頂いていることへのご縁と奇跡に感謝するしかありませんでした。

<シモン>
そして大いなる朝がやってくる
苦痛と死から解き放ち
新しい生へと我らを呼び覚ます

<ルーカス、シモン>
天の門が開き
聖なる山が現れる
神の天幕が頂きをかざり
安らぎと平安が座している

<合唱>
この門を行くのは誰か?

<ハンネ、ルーカス、シモン>
悪行をさけ、善を行った者が

<合唱>
この山を昇るのは誰か?

<ハンネ、ルーカス、シモン>
真実のみを語った者が

<合唱>
この天幕に住まうのは誰か?

<ハンネ、ルーカス、シモン>
貧しき者、悩める者を救った者が

<合唱>
ここに平安を授かるのは誰か

<ハンネ、ルーカス、シモン>
罪なき人を護り、義とした者が

<合唱>
おお見よ、大いなる朝がくる
おお見よ、もう輝いている
過ぎさったのだ、苦しみの日々は
永遠の春が君臨し、限りない至福が
正しき者への報酬となるであろう

<ハンネ、ルーカス、シモン>
我らにもいつか、その報酬がありますように! さあ働こう、勤めよう!

<合唱>
我らは辿り着く、神の国の栄光へ
アーメン!
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先生の一周忌に迎えるに当たり、何てぴったりな有難い言葉であろうか。先生はこういうことを私に教えてくださったのだから。

さぁさぁ、勤勉だ!勤労だ!
そして素晴らしい宝を手に入れよう!

《まことに人生、一瞬の夢
ゴム風船の、美しさかな。》

私を支えて下さる全ての方への感謝を忘れずに、良い事も悪い事も、起こる全ての物事に感謝し、希望を持って今日からまた新たに生きていきます。ありがとうございます(シャウト)!

# by komaiyuriko | 2016-07-17 23:17

夏の人

中3の暑い夏、東中野の芹沢文子先生の御宅を母と二人で緊張しながら訪ねました。東京音大附属高校を受験するにあたり、ご縁あって芹沢先生を紹介されたのでした。

「東中野の日本閣方面の出口に出て下さい。そうしたら、その辺りの人に家までの行き方を聞いて下さい。」
衝撃の道案内でした。今はコンビニになっている、昔ながらの商店に入り、お店の方に芹沢先生のお宅を伺ってみると、本当にそこにいた人皆お家を知っていて、無事にたどり着いたのでした。

立派なお家に広いお庭、そこに大きな木がありました。それはのちに芹沢光治良先生のご本で泰山木だと知りました。庭に離れがあり、そこは芹沢先生のレッスン室でした。母屋の二階で、ロッキングチェアーに座り庭とそこにいる私たちをにこにこ眺めている、光治良先生がいらっしゃいました。

どんな怖い先生が出てくるのかと、勝手にドキドキビクビクしながら玄関で待っていますと、背の高い(本当はそんなに高くはなかったが、その時は大きく見えた)痩せ型の優しげな微笑みをたたえた芹沢先生が、高い声で迎え入れて下さいました。この時に私の運命は間違いなく決まったのだと確信しますが、もちろん何も分からない私は、ただただ緊張して、中に入りました。

高校生の私のレッスンでは、あの高く優しい声で「元気ですか〜?好きな授業は何ですか〜?」「困ったことはありませんかー?」「学校は楽しい〜?」と、この調子でした。好きな授業は西洋音楽史だと答えると、「あらー、貴女偉いのね〜。」とおっしゃったことを覚えています(笑)。大学生になると、うまく歌えた日には「いつもと何が違う?」とよく質問されました。コンサートに行ったと話をすれば「何がどんな風に良かった?」と。聴く耳を育て、考えさせるレッスンでした。院生になると「今日も素敵な歌をありがとうございました〜。」と、レッスンの終わりに毎回のようにおっしゃいました。レッスン室を出ると、帰っていく私が見えなくなるまで、いつも欠かさず入り口で立って見ていてくださいました。

大学を卒業する時にお礼をすると、先生から、ミキモトの真珠にダイヤモンドをあしらったネックレスを頂戴しました。これはいわゆる恩寵ーgrâceーだったのだと感じています。私の一生の宝物。

院も修了し、留学する時、先生が初めて私に「お願いがある」とおっしゃいました。日本で仕事をしてから留学して頂戴と。修了後、すぐに行きたかった私は、それでも芹沢先生の最初のご指示だったので、その通りにしました。先生はいつも先を見ておいででした。先生の言う通りにして正しかったと思っています。

パリ留学時代も先生はしょっちゅうお手紙をくださいました。留学中に溜まった先生からのお手紙は全て取ってあります。これらは私を励ますものでした。私もどこかへ出かければ先生へカードを書きました。だからいつも手帳には切手が入っています。住所はもう覚えています。ヴァカンスで旅に出た際には日記のように毎日カードを書きました。

コンサートにはほとんどいらしてくださいました。そしていつもお褒めの言葉をくださいました。私がああすれば良かった、こうしなきゃいけなかったと言っても、いつも全面的に肯定して褒めてくださいました。

昨年、先生の体の調子が悪くなり、入院され、そのお手伝いをすることになりました。それすらも誉れでしたし、勝手に行っても先生は必ずそこにいるわけですから、そこで会える、そこでお話しができると思うと、むしろ楽しい気持ちで、時間が空けば病院に通いました。先生はいつも素晴らしいお話を聞かせてくださいました。

先生はいつまでも自分のそばにいて、支え、道を示して下さるものと思っていました。私はそれを信じていたし、疑いませんでした。

先生は誕生日を6日後に控えた暑い夏の日、突然亡くなりました。姉弟子の野田ヒロ子さんからの電話でした。晴天の霹靂。すっかり良くなって退院してから一年経ったという先生へお祝いを送って間もなかったし、先生に褒めてもらおうと思って、自分のコンサートのプログラムや新聞の切り抜きを集めて送る準備をして、そのまま放っておいた位でした。

先生のお家で先生のお顔を撫でました。25年間、先生に褒めてもらってばかりでした。怒られたことなんて一度もありません。訪ねて来る方、皆さんが、先生の前で泣きながらお礼を言っていました。まったく先生にはお礼しか言うことがないのです。

先生の亡くなられた翌日、野田さんはブラームスのレクイエムの本番で、先生のお葬式の日、私はフォーレのレクイエムの本番でした。こうして歌わせて頂けるなんてよく出来ている、有難いと思いました。やっぱり先生なんだなぁ、と納得していました。

変な考え方かもしれませんが、先生が亡くなったことで、これからはより近くに先生を感じられるし、困った時や悩んだ時は先生にお願いすればいいんだ、と寧ろ安心するような甘えた考えさえ今はあります。

姉弟子たちは、先生を見ながら、いつまでも頼っていられないもんね、とおっしゃっていましたが、私はまだです。私は先生の門下の中では小さい方なのですから。先生、どうか私を正しい道にお導きください。いい加減、独り立ちしなさい!と、先生に初めて怒られたりして(笑)。

先生は、大きな光で生きる道を示して下さるような、そんな先生でした。私はどういうわけか、先生がおっしゃるにはご加護が多いらしいのです。だから貴女はいつでも人に親切にしなさい、とおっしゃいました。ご加護が少なくて困っている人がいたら、貴女が助けなさい、と。そして貴女が太陽でありなさい、と。

先生のようにそんなこと、私には出来るわけないけれど、先生がおっしゃるんだからやらなければと思います。私も学生さんに対して先生のようにありたいと願います。世の中生きていればどこかで北風に当たるんだから、自分はいつでも太陽であろうと。

芹沢先生は偉大な方でした。私は芹沢先生に15歳で出会えて幸せでした。素晴らしい音楽の世界に導いて下さり、生きづらい音楽の世界における美しい魂の保ち方を教えてくださいました。善く生きるとはどういうことか、教えてくださいました。

芹沢先生に25年分の感謝を捧げます。15から40。人生の大切な時を傍らで見守って下さり、ありがとうございました。先生は夏に生まれて夏に旅立つのですね。今日も陽射しが強く、暑い日です。

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先生のレッスン室

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私の師匠、芹沢文子先生
# by komaiyuriko | 2015-08-10 14:08

部屋とYシャツと私みたいになっちゃった(汗)。

今年の梅雨時期は、余りに多くの美術館が魅力的なエクスポジションをしているもので焦りました。
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ルオー、ユトリロとヴァラドン、マグリット、ボッティチェリ、サティ、モネ…

忙しいっちゅーねん!
でも何が何でも行かなければいけないのはマグリット&サティ。とにかくその予定だけは死守。

そしてたまたまコンサートで行った広島に、東京から周って来たユトリロに遭遇。
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それでも残念ながら都合つかず…。縁がなかったということで諦めましょう。モンマルトル美術館で散々見たから、きーきーしないで我慢の巻。

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マグリット展、相当楽しめました。思ったより作品数も多く、見応え十分。ベルギー美術館で感激して見た作品もありました。

それにしても(第一弾)、マグリットの作品を見たいと思えば、世界中の美術館を点々と周らなくてはなくてはなりませんが、こうして東京にシリーズ物まで集めて頂いて、本当に感謝です。どれだけ、手間と時間とお金が省けると思います?!ありがたや、ありがたやー。
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マグリットの癖も充分分かったし(笑)、シュールレアリスムと言えども作品に関する解説や流れはとても頷けるもので、勉強になりました。三度出向きましので、パスポートが欲しかったです(笑)。

そしてサティ展。
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まだ開催中ですのでオススメです。サティ展と呼ぶにはうっすらハテナですが、あの時代の雰囲気は抜群に伝わります。

それにしても(第二弾)、あの時代のことが大雑把に知りたいなと思った時に、こうして多角的に資料をフランスの至る所から集めてきてくれるなんて、何て親切なの?!渋谷に行っただけで間に合っちゃったじゃない。ありがたや、ありがたやー。

思い切り便乗商品と分かっていても、簡単にそれに乗り、買ってしまうイージーな私。
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ミントコーヒーだそう。自由な時間が出来た時にじっくり楽しもうと、まだ飲んでいません。風味が失われたりして(笑)。

ボッティチェリにも行きました。
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文化村、サティの前の企画展。ふむふむ、と周り、最後のビデオで全て勉強した気になる安易な見方をしてしまいました(笑)。マグリットのボッティチェリのことばかり考えてしまいました。心ここに在らず。

そして東京都美術館で9月から開催のモネ展ですが、朗報ですっ!
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10月31日(土)14時〜と15時〜、モネ展へのオマージュとして、美術館コンサートをさせて頂きます!!

チャプターは、
・睡蓮
・雪の効果
・時の移ろい〜日没から曙まで〜
・水の反映

今回はヴァイオリニストの村津瑠紀さんをゲストにレクチャーコンサートを致します。

昨年の国立西洋美術館レクチャーコンサートに続いての第二弾です。ワクワクするなー、もー。一回30分のコンサートを二回。二回とも全く同じ内容なので両方来て「デジャヴュー!」って叫んでね♡

ではおあつーございますが、御機嫌よう〜!



# by komaiyuriko | 2015-08-07 16:26

閉ざされた庭

詩人の長田弘さんのインタビューからインスピレーションを得て。

ーパトリオティズムは宏量だが、ナショナリズムは狭量だ。ー

「日常愛(パトリオティズム)」とは何か。それは生活様式への愛着です。大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」

「戦争はこうして、私たちの生活様式を裏切っていきました。こういう確固とした日常への愛着を、まだずっと書き続けたかった。戦後70年の今、失われようとしているものがいかに大切かということを……」

「窓を開けると、風の音や誰かの声、新聞配達の音−−そういう日常が聞こえてくるんです」


フォレの晩年の作品『閉ざされた庭』(Le jardin clos)を聴きながら、私は思い出す。
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実家の二階、私の部屋。窓はいつも開いていて、風が通り抜ける。ごろりとすると、その窓から向かいの家の棕櫚の木の葉がパラパラと音を立てる。大抵、向かいのおばちゃんの声が聞こえる。息子のむっちゃんを叱っている声。鳩の鳴き声。これは私の子守唄。そのうち、母が外に出るー砂利道の石を踏む音。向かいのおばちゃんと無駄話をしている笑い声。

ー目を覚ますと、また同じ棕櫚の木の葉の風の音。遠く聞こえる食事の音、テレビの音。街灯の点くパチパチする音ともない、幽かな音。談笑の声。

これが愛すべき日常だ。

既に砂利道は舗装され、点いたり消えたりする街灯は取り替えられた。時代は変わるが人は変わらず。今でも向かいのおばちゃんの声が聞こえるー。

そこは私の侵されることのない、神聖なLe jardin clos…



# by komaiyuriko | 2015-05-17 16:14