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エウレカ、リス園に行く

町田の市庁舎でなるちゃんがコンサートをすると言うので、エウレカが賑やかしに行って来ました。
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しかし今回の本当の目的は…みんなでリス園に行くこと!
私はリス園がメインと勘違いしてしまい、ドレスや靴をリュックに詰めて、両手を空けていました。そしてスニーカーに小汚いジーパン、そしてリスに登られても引っかからないようなツルツルしたジャンパー。市役所の方も、「あー、リス園仕様の出で立ちだったんですね!」と失笑。普段通りだけどね…。

町田在住のなるちゃんも行ったことがないと言うそこは、駅からバスで15分くらいのところにありました。しかしながら、かなり山の中と言った印象。そしてドーン。
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リス園の看板です!

園内は、正直に申し上げると凄まじい動物の匂い(笑)。コンサートで頂いたスコーンをリス園で食べようね♡なんて言っていた自分たちがちゃんちゃらおかしいです。無理だから!

それでもリスちゃんたちの愛らしさには心を奪われ続ける皆さん。みんな上手にリスと戯れています。
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私はと言えば、ヘタレのユリが顔を出してしまい、ビビりまくり。餌をあげたいんだかあげたくないんだか分からない様子。
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ちょんちょんと来たリスに餌を投げつける始末。リスの心の声「どっちだよ(怒)!」が舌打ちと共に聞こえてくるよう。

それでも最後は仲良くなれました。
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初めてお友達が出来た子のような、ハニカミを見せています(笑)。

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リス園には、大きな亀さんがいたり、モルモットも100匹位いました。

リス園の向かいには、日本の公園100選に入っている有名な薬師池公園がありました。せっかくだから行ってみましょう!
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しかしこの安易さがのちのち大変なことになります。なぜならほとんど山登りのような公園だったから。私以外のメンバーは、本番の衣装や靴が入ったコロコロを持っての移動。公園の出口がたかーい山の上にしかないと分かり、そこまで続く階段を見つけた時、みんな心の中で「なんでここまで来ちゃったんだろう。」という後悔の言葉があったはず。そしてみんな、それはエチケットとして言っちゃだめ、と思っていたはず。
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黙々と登る私たち。

旅をする時には下調べが大切なんだな、ということが分かりました。最後は修行によって、更なる結束力と忍耐力を習得したエウレカなのでしたー。


# by komaiyuriko | 2017-03-06 17:12

節分ももう終わり、気がつくと2017年もとっくに過ぎていました。皆様、いかがおすごしでしょうか。

年末はロ短調ミサから怒涛のコンサートで、毎日楽しく暮らしました。

伯父と一緒に歌えるという一大特典付きのロ短調。
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そして本番中もうっかりふざけてカメラ目線。
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いけませんよ、本当は。

公式打ち上げにも駒井家親戚一同呼んでいただき、大変楽しい一日でした。
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盛岡、そして岡山から駆けつけてくれた親戚の皆さまに心から感謝。

その3日後、待ちに待ったエウレカコンサート!素晴らしいアンサンブル(自分で言っちゃった!)で魅せるエウレカに、指揮をしながら短足、違う、嘆息です。
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また弦楽カルテットのフィオーリさんは、私の拙い指揮に危機感を覚えたのか、心を1つに合わせて下さり、素晴らしい演奏でサポートしてくださいました。
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ドビュッシーのカルテットも熱演。

後半はフランス近現代作品のアンサンブルを。
この公演はあっという間に完売してしまったため、追加公演を開きました。小心者の私たちは更に小さなホールを選んだため、またすぐに完売。
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どーもすみません。
狭いながらも楽しい我が家と言わんばかりの雰囲気で終了。

年末は腰に麻酔を打ちながらシンガーズに心血を注ぎ(笑)、気がつけば2017年。あっという間にクルト・パイユ東京公演でした。

念願の『泥棒とオールドミス』でした。13年前、クルト・パイユを結成した当初から泥棒をやろうと話していたのにこんなに時間がかかってしまいました。しかし、満を持して(全員揃う稽古はたった2回でかなり焦ったが…)、お客様に大笑いして頂ける舞台を作ることが出来て幸せでした。
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これも3人出会った当初から、寸暇を惜しんで全力でふざけあって来た、その努力の賜物です。

緊張感のある本番でしたが、お客様の笑い声が、私たちのテンションをどんどん上げていったことは間違いありません。これからも、笑い声を求めて、日々精進していきたいと思います。クルト・パイユは何処へ行く〜?!
# by komaiyuriko | 2017-02-08 01:48

おうちにいながら軽井沢

最近(40もイツノマニカ過ぎて)、お酒始めました。

友達がハイボールを飲んでいて、その香りをくんくん嗅いだら、森林の香りがしたのです。おぉ、これは私の心の故郷、軽井沢ではないか!(ちなみに魂の故郷は盛岡。生まれ故郷は大宮。)
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それから、早速ウイスキーと書いてある、とにかく安いビンをコンビニで購入。氷と炭酸水も忘れずにかごへ。そそくさと部屋に戻り、コップへ注いでみる(ここで素敵なグラスがないことにがっかりする。)。

かなり弱腰の、炭酸水97に対してウイスキー3。氷の崩れる音と薫り。こ、これはまさに、軽井沢のバルコニーにロッキングチェア、膝の上には本があって鳥のさえずりと川のせせらぎではないかー!!!大感動であります!今まで大人たちは、こんなに素晴らしいものを内緒にしていたのかー、くっそー、知らなかった。

翌々日、早くも欲が出て、他のウイスキーも試してみようと、同じくコンビニで負けず劣らずやっすいウイスキーを購入。

ウイスキーとはこんなに味、香り共に違うものか…。1本目の方が美味しかったような。しまった。

こうなると、ホテルにある、あの小さいウイスキーのボトルたちが欲しくなります。街でいつもは気にしたことなどない、酒屋に入って、ウイスキーの棚を見てみました。その金額の差と言ったら(笑)。金額の違いは味と香りの差なのでしょうか…。ちなみにミニボトルは置いていませんでした。

だからと言って様々なウイスキーを買うわけにはいかないし、お店で飲むわけにもいきません。だって、「97対3で。私のはじき出した黄金律です。」と店員さんの耳に届くほどはっきりとは言えませんからね。

そしてまた今年もボジョレーの季節がやって来ました。大学の帰り、酒屋さんの前に店員さんがテーブルを出して試飲を勧めてきました。
私「ありがとうございます、結構です。飲めないので。」
店員さん「あ、そうなんですね、失礼しましたー!」
私「でも雰囲気を味わいたいのでハーフボトルありますか?」
店員さん「ありますっ!(スタップ細胞風)」

というわけで、パリを思い出し、ボジョレーを購入。私には飲めるワインと飲めないワインがあります。パリでの記憶によると、濃いのは飲めるのだと思います。ユリはボルドーの重たいのなら飲めるのね、と言われたのを覚えています。ただしボジョレーはその点、期待できません。

それがー、美味しかったの。もちろん、飲みきれずに終了しましたが、ブリーとブルザン、生ハムを片手に、私史上最高に飲めたと思います!一杯ちょっと。

あー、ついに呑兵衛になっちゃったなー♡
ウイスキーに、ワインだよ。でもワインはやっぱりやめておきます。多少の頭痛を覚えたので(笑)。軽井沢の爽快感と頭痛や動悸のなさの圧倒的勝利。


私の年末の野望—
実家に帰り、こっそりと棚を開け、父の高価そうなウイスキーを探し出し持って帰ること。

犯人は……
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何にもなかったりして(笑)。


# by komaiyuriko | 2016-11-26 16:33

賢治からバッハへ K→B

11月に雪が舞ったのは54年ぶりだそう。こんなにワクワクする日に週末のバッハのオケ合わせに行くなんて余計楽しいなと、必要以上に大きな(大雪用の)長靴を張り切って履き、五反田を闊歩。ふと空を見上げると灰色の空。こんな空から神聖な雪が降ってくるのかと思ったら賢治の詩を思い出した。賢治の詩は思い出しただけで泣けるからいけない。これから歌を歌うのに鼻が詰まってしまう。


永訣の朝 (大々的に抜粋)

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう

この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ


賢治はトシの最期のお願い事である「あめゆじゅとてちてけんじゃ」が、自分をあかるくするためにたのんだのだと思う。「今度は自分のことで苦しまず人のために苦しむように生まれてくるね」と死の間際に言うけなげな妹よ、自分は真っ直ぐに生きてゆくからと誓い、そのふたわんの雪がどうか天上のアイスクリームになってほしいと願う。

そして雪を取ってきたその松の葉をトシのほっぺたに当ててあげた賢治。トシは「ああいい さっぱりした まるで林のながさ、来たよだ」と言ったと言う。最後まで仲良しでお互いのために生き、世の幸いを探して生きた兄妹だったのだなぁ!

ちなみに賢治も旅立つ時、母親に消毒綿で体を拭いてもらいながら、「ああ、いい気持ちだ」と言いながら息を引き取ったというからね。母は賢治に「ゆっくり休んでんじゃい」と言ったって。もう誰か、私の涙を止めて〜(絶叫)!

人の幸いを求めて、誰も嫌な思いをしないように、役に立たなくとも(デクノボー)、力になりたいと願った賢治。うっうっうっ(嗚咽)。

そんなこんなで精神薄弱な状態でオケ合わせに臨みました(笑)。それでも素晴らしい古楽器オーケストラ、シンポシオンの皆様の演奏につい、ノリノリで歌ってしまいました。今から本番が楽しみです。バッハの3大傑作の1つ、ロ短調ミサ曲、来てねん。
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《サービスタイム》
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この写真は、随分前に山形新幹線の中から撮ったもの。賢治の「林と思想」という詩が好きで、それを思うと、この写真の春が見えるような気がします。


林と思想

そら、ね、ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
きのこのかたちのちいさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行って
みんな
溶け込んでゐるのだよ
  こゝいらはふきの花でいっぱいだ


私の印象の中で、東北の雪景色は特別です。それは小学校の教科書に載っていた「永訣の朝」のせいです。

バスタオルを目に当てて、心の準備が出来たら参考にどうぞ。


永訣の朝 (全文)
   
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
  (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
 (Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ




# by komaiyuriko | 2016-11-24 23:30

クルトパ名古屋公演!

パリでクルト・パイユを結成し、精力的なコンサート活動を行ってから12年が経ちました。ここ3.4年ほどはそれぞれに忙しかったのと、体力が落ちてきたことからコンサート活動はお休みしておりました(笑)。が、もう干支一周したよ!とのことで、重たい腰を上げて(笑)、名古屋公演に踏み切りました。

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演目は我らの十八番、ラヴェル作曲『子供と魔法』です。今回はクルトパ以外の出演者は、ソリストもコーラスも、そしてピアノも指揮も名古屋の方にゲストに入って頂き、素敵な出会いや嬉しい再会などがありました。

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バリトンの近野さんとテノールの笠木さん。稽古日のこの日、笠木さんのお誕生日でした。

今回はコンサート形式で行われた『子供と魔法』ですが、クルトパなんだから普通に演奏するのはよくない、なにか馬鹿なことをやらなくては、とさーちゃんが言い出し、2人ともそりゃそーだ、となって、また訳のわからない仕込みを始めた3人。結果、お客様には大好評を頂きました。

それは、子供と魔法の絵本を作り、お客様に配ること、そして、絵本をめくるタイミングを演奏者が出すこと。それから、オペラの名シーンの前にシャッターチャンスが訪れる予告をすること、そして、今!という時にストップモーションにして、お客様に記念写真を撮って頂くことでした。
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お客様の参加型オペラになったわけですが、皆様思い切り参加してくださいました(笑)。ここ、絶対ふざけちゃいけない感動のシーン、というところで悪ふざけをするクルト・パイユ、健在です。
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お客様、一斉にシャッターを切ります(笑)。

また、クルトパ3人のご両親さまが勢ぞろいしたのも嬉しい再会でした。そういえば東京で公演する時も、三重からさーちゃんのご両親が、山形からまーちゃんのご両親が来てくださってたもんね。そして2人のご実家にも公演や稽古のためにお泊まりさせて頂いていましたし、その度に親切にして頂き、みんなお父さん、お母さんと呼び合っています。さーちゃん、まーちゃんの旦那さまも協力的で(というより、メンバー並みに働かされている!)、今は大きな家族になっています。有難いことだ〜。
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ホテルにてまーちゃん家族と。

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パリで出会ったキャオルと妹のキャナメちゃんも広島から来てくれました♡

今回は大宮から来てくれた両親と共に、名古屋から大阪への旅行を計画しました。大阪へ私の伯母のお墓参りに行くことが目的でした。おばちゃんは私を応援してくれてたからね。大阪でコンサートがあった時、恥ずかしげもなく、「ブラボー、ブラボー!」と叫んでくれたものでした。おばちゃんのお墓参りは初めてだったので、ここでもまた嬉しい再会となりました。
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大阪でベタなことをしまくる駒井家。

何より両親が元気なことだけが幸せです。どうかこの幸せがあと30年は続きますように(そしたら両親は105歳)!
# by komaiyuriko | 2016-10-01 12:50

Paul et...

学生時代、私を夢中にさせた詩人がいました。それはポール・ヴェルレーヌ。彼は自らのことを「土星人」と呼び(不幸な星のもとに生まれたという意味。のび太の常套句(笑)。)、繊細すぎる自分を呪っていました。しかしそれが詩人には絶対的に必要だとも分かっていて、そんな自分は生きるも死ぬも不幸せ、と語っています。

私もまた若かりし頃、自分をそんな風に感じていました。どうして今はこんななっちゃったんだろ(笑)。日々、誰も気に留めないような些細な事柄が身の周りに起こる度、ヴェルレーヌ詩集を必死にめくり、その時の自分を慰めてくれる詩を探したものです。

そんなわけで今でもヴェルレーヌは私の心の友であり、本当の友達だったら困る男なのです。

2009年に、ヴェルレーヌの試作をめぐる旅と題した舞台の台本を書き、サントリーホールでクルト・パイユとテノール歌手、俳優さん、ダンサー2人が必要な、自分的には大スペクタクルを上演しました。お客様への歴史的背景や人物相関、作風などのなんのガイドもなく、字幕もなく、自分だけが満足する舞台を作り上げました(笑)。その時のお客様の巨大なはてなマークと言ったら(汗)!

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あれから7年が経ち、ピアニストの市川さんからヴェルレーヌの歌芝居をやりたいとお話しを頂き、喜んでご一緒させて頂くことにしました。だってランボー役だって言うんだもん!大好きなランボー(シルベスタ・スタローンではない)。しかもヴェルレーヌは根岸さん、マチルドは森さんって言うじゃない!ピッタリ(笑)←失礼でもある。

とにかく準備は大変でしたが、今回は4人の力を合わせて(4人寄れば文殊の知恵で、選曲、台本から演出、舞台装置、照明まで、全てを手分けして、うまいこと適材適所出来たわけでした。)、お客様を置き去りにすることなく、ヴェルレーヌの素晴しさと脆さ、ランボーの天才っぷりと豪胆さ、そしてマチルドのおかげで生まれた珠玉の作品などなど余すところなく舞台化できたと思います。

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①舞台上にスクリーンを置き、こんな風にエピソードの題目も出したり、
②曲目や
③字幕もだして、
④たまに必要な知識も挟み込み、お客様へのガイドをつけました。ここ、大切(笑)。

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今回は劇中劇で雅なる宴のシーンがありました。雅なる宴関連の歌曲は山ほどありますから、素晴らしい曲を歌うことができて最高でした。

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マチルドとの束の間の幸せな時間

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ランボー現る

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酒と男色にまみれてついに

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発砲事件

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絶望するヴェルレーヌ

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そんなヴェルレーヌを捨てるマチルドとランボー

専門家の先生方にもお褒めの言葉を頂き、さらにヴェルレーヌのことをよく知らない方にも興味が出たやら、楽しかったやら、ヴェルレーヌやランボーの詩を読んでみたい等々のご感想を頂戴しました。
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森さんの師匠で二期会フランス歌曲研究会でお世話になっている後藤寿子先生と。厳しい先生ですからお会いする時はピリッとしますが、とても喜んで頂き、4人でホッとしました!

文学や音楽は人生を彩ってくれるどころか、窮地に立たされた際、命をも救ってくれるのです!これからも芸術に助けられてよちよち生きていきたいと思います。ご静聴ありがとうございました(笑)。
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終演後、ピアノと主催の市川さん、そしてフルーティストの坪井さんと。

# by komaiyuriko | 2016-09-26 17:40

終戦記念日の今日は、芹沢先生のメモリアルコンサートでした。生前先生は、今日のこのコンサートをもって、合唱団の指揮と指導に一区切りをつけるおつもりでいらっしゃいました。平和への願いは芹沢先生の一番大切な志でしたから、8月15日にコンサートを定められたのだなぁとまたしても先生の願いの強さに感服したところです。
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今年の合唱団の歌を聴くまで、この合唱団は音楽をするというよりは、みんなで気持ちを1つに、平和であることへの感謝と世界平和への希求のために歌っているのだなぁという印象でした。芹沢先生の指導はいつもそうでしたから。
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でも今年は見違えました。精神はそのままに、音楽力が格段にアップしている(笑)!ひとえに、先生の意志を継いだ鳴海さん(門下の最長老先輩)のおかげです。青森にお住まいながら、月イチのご指導。素晴らしいです。

門下の先輩で東京音大で教鞭をとっていらっしゃる五日市田鶴子先生の落葉松。ドラマティックなのに繊細。感動的でした。
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そして同じく東京音大の先生でもある野田ヒロ子さんのトスカ。今、日本で一番うまいんじゃないの?!そのテクニックと表現力に唖然とします。泣けてきます。この方が先輩であることが誇りです。震えるほど素晴らしかった。
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先輩方のコール・エトワールによる芹沢作品。楽屋では先生っぽいその曲の作りに皆でウケていましたが、爽やかな素敵な演奏でした。

私は最後に先生に見ていただいた曲を歌おうと思い、7.8年前の芹沢門下発表会で歌ったメシアンを選曲。あの時は間に合わず楽譜を見て歌いましたから、ようやく仕上がりました。何年かかってるのかしら…。
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この曲はキリストの復活を歌った曲です。キリストによって分け与えられたパンを食べた使徒たち。彼らはそのパンを口にし、その教えに目が開きます。私たちもまた、芹沢先生によって目を開かされた門弟ですから、そのような思いと共に歌いました。

楽屋には、先生の形見のお品を皆さまに、というコーナーがありました。楽譜や写真、ドレスやアクセサリーがわんさかありました。
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鳴海さんから、芹沢門下は最高だ、とメールを頂戴しました。全く本当です。今後も、見えない強い絆を感じて生きていきたいと思った有難い1日でした。
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# by komaiyuriko | 2016-08-15 23:40

今夏もまた広島に行き、演奏を通して平和を考える機会を頂きました。大音量の蟬時雨を聞きながら、71年前の夏に思いを馳せます。
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今年5月、現アメリカ大統領のオバマさんが広島に来てスピーチをしたことは、戦後の日本にとって何よりも大きなニュースだったと思います。スピーチを流すニュースを見ながら涙が止まらなかった。なぜなら、彼が日常愛を知っていたから。アメリカの大統領が日々の小さな愛の溢れる挨拶や、食事時の会話の慈しみ深さを知っていたから。それを一瞬にして奪われたことの悲劇の深さを知っていたから。ニュースを見て泣くなんて人生初めての体験!
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日本人は世界初の悲劇を前に耐え忍んで、闘い続け、こんなに発展させてきたのだなと、これまで日本を創ってきた先輩方への尊敬と感謝の念を強くせずにはいられません。

何度伺っても衝撃的な原爆資料館。
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子供には衝撃が強過ぎるから展示を辞めようと話題になった模型があります。何を言ってるんだ!目を背けたくなるような、恐怖で二度と目にしたくないような、こんなことが現実に起こったんだ、事実から目を背けるな、むしろ、目に焼きつけろ!と言い合いながら、友人と見学。怒りと悲しみで感情が揺さぶられ涙が出ることもしばしば。

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今まで余り心にとめなかったパネルがありました。原爆が投下され、75年は草木が生えないと言われた大地に、たったひと月後、真っ赤なカンナの花が咲いたのだそう。何という奇跡。何という希望。

土の力を信じよ、大地を讃えよ、と謳う大木惇夫の「大地讃頌」を思い出します。そして三枝ますみの書いた「黄色いカンナ」を思い出しました。

黄色いカンナはお庭のあかり
ほっかりやさしい花あかり
そこからひぐれがひろがると
私もやさしくなるのです

お庭に花が咲いた、あぁ、夕焼けだ、綺麗な空の色、夕暮れ時のこの匂い、心が緩和し、優しくなれる ーこんな気持ちが世界中に広がればいいのに。人々が小さな小さな幸せを感じられるカンナの花を、どうか世界中に咲かせてください。

戦争は地球上からなくならない。でもどんな人も、差はあれ日常愛を知っている。それでも残念なことに怒りの方が強いエネルギーを持っている。文化のあるところに争いは起こらない。でも貧困の厳しいところには文化は届かない。誰か、本当の平和を発明してください。
「過ちは二度と繰り返しませぬから」
この我々の応えの句が、虚しく広島の夜の空に消えていきます。
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# by komaiyuriko | 2016-08-03 23:29

黎明は広がり

今日は7月17日、芹沢文子先生の一周忌でした。
先生の妹さんのご厚意により、先生に所縁のある方の集まりに参加させて頂くことができました。
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このブログも喪が明けます。
Puisque l'aube grandit, puisque voici l'aurore
実際、喪のつもりで更新しなかったわけではありませんでしたが、なんだか先生が亡くなるという嘘みたいなことが起こったのち、パッタリとブログを書く気が無くなってしまっていたのでした。思えば、このブログを始めたのもパリ留学中。両親と先生に私は元気です、ということを伝えるために始めたようなものでした。今日、妹さんから「お部屋を掃除していたら、駒井さんからの絵葉書がたくさん出てきたのよ。こんなに熱心にパリから書いてくださったんだなと感心しちゃって。そしていつも文子先生は駒井さんのコンサートに出掛ける時は、鼻高々で、わざわざ宣言して自慢気に出て行きましたよ。」とお言葉をかけて頂きました。感激で体が震えました。

あれから私にとっては大変なコンサートが続きました。東京文化会館でのリサイタル、サントリーホールで木下牧子さんをお呼びしての《蜘蛛の糸》、そして昨日、リリアでのハイドンのオラトリオ《四季》。その他色々あるコンサートの準備と共に迎えるこれら3つは、到底自分にはできるような気がしなく、ネガティヴなことばかり考えてしまう傾向にありました。それでも全てを無事に終え、そして今となっては自分の血となり肉となり、良い思い出と素晴らしい経験になっている……。そりゃそうです。芹沢先生のご加護があるんだから!

いつもそれに気がついていれば、安心してその日を迎えられるのに!鬱々と暗いトンネルを進み、やっと光射す下界へと出られます。その連続。もう、取り越し苦労(笑)!芹沢先生の名言「一寸先は光」。そうでした、そうでした。

それでも、いつもながらのその作業があっての娑婆ですからね。昨日の《四季》での言葉は、これを歌わせて頂いていることへのご縁と奇跡に感謝するしかありませんでした。

<シモン>
そして大いなる朝がやってくる
苦痛と死から解き放ち
新しい生へと我らを呼び覚ます

<ルーカス、シモン>
天の門が開き
聖なる山が現れる
神の天幕が頂きをかざり
安らぎと平安が座している

<合唱>
この門を行くのは誰か?

<ハンネ、ルーカス、シモン>
悪行をさけ、善を行った者が

<合唱>
この山を昇るのは誰か?

<ハンネ、ルーカス、シモン>
真実のみを語った者が

<合唱>
この天幕に住まうのは誰か?

<ハンネ、ルーカス、シモン>
貧しき者、悩める者を救った者が

<合唱>
ここに平安を授かるのは誰か

<ハンネ、ルーカス、シモン>
罪なき人を護り、義とした者が

<合唱>
おお見よ、大いなる朝がくる
おお見よ、もう輝いている
過ぎさったのだ、苦しみの日々は
永遠の春が君臨し、限りない至福が
正しき者への報酬となるであろう

<ハンネ、ルーカス、シモン>
我らにもいつか、その報酬がありますように! さあ働こう、勤めよう!

<合唱>
我らは辿り着く、神の国の栄光へ
アーメン!
黎明は広がり_d0246243_23520541.jpg

先生の一周忌に迎えるに当たり、何てぴったりな有難い言葉であろうか。先生はこういうことを私に教えてくださったのだから。

さぁさぁ、勤勉だ!勤労だ!
そして素晴らしい宝を手に入れよう!

《まことに人生、一瞬の夢
ゴム風船の、美しさかな。》

私を支えて下さる全ての方への感謝を忘れずに、良い事も悪い事も、起こる全ての物事に感謝し、希望を持って今日からまた新たに生きていきます。ありがとうございます(シャウト)!

# by komaiyuriko | 2016-07-17 23:17

夏の人

中3の暑い夏、東中野の芹沢文子先生の御宅を母と二人で緊張しながら訪ねました。東京音大附属高校を受験するにあたり、ご縁あって芹沢先生を紹介されたのでした。

「東中野の日本閣方面の出口に出て下さい。そうしたら、その辺りの人に家までの行き方を聞いて下さい。」
衝撃の道案内でした。今はコンビニになっている、昔ながらの商店に入り、お店の方に芹沢先生のお宅を伺ってみると、本当にそこにいた人皆お家を知っていて、無事にたどり着いたのでした。

立派なお家に広いお庭、そこに大きな木がありました。それはのちに芹沢光治良先生のご本で泰山木だと知りました。庭に離れがあり、そこは芹沢先生のレッスン室でした。母屋の二階で、ロッキングチェアーに座り庭とそこにいる私たちをにこにこ眺めている、光治良先生がいらっしゃいました。

どんな怖い先生が出てくるのかと、勝手にドキドキビクビクしながら玄関で待っていますと、背の高い(本当はそんなに高くはなかったが、その時は大きく見えた)痩せ型の優しげな微笑みをたたえた芹沢先生が、高い声で迎え入れて下さいました。この時に私の運命は間違いなく決まったのだと確信しますが、もちろん何も分からない私は、ただただ緊張して、中に入りました。

高校生の私のレッスンでは、あの高く優しい声で「元気ですか〜?好きな授業は何ですか〜?」「困ったことはありませんかー?」「学校は楽しい〜?」と、この調子でした。好きな授業は西洋音楽史だと答えると、「あらー、貴女偉いのね〜。」とおっしゃったことを覚えています(笑)。大学生になると、うまく歌えた日には「いつもと何が違う?」とよく質問されました。コンサートに行ったと話をすれば「何がどんな風に良かった?」と。聴く耳を育て、考えさせるレッスンでした。院生になると「今日も素敵な歌をありがとうございました〜。」と、レッスンの終わりに毎回のようにおっしゃいました。レッスン室を出ると、帰っていく私が見えなくなるまで、いつも欠かさず入り口で立って見ていてくださいました。

大学を卒業する時にお礼をすると、先生から、ミキモトの真珠にダイヤモンドをあしらったネックレスを頂戴しました。これはいわゆる恩寵ーgrâceーだったのだと感じています。私の一生の宝物。

院も修了し、留学する時、先生が初めて私に「お願いがある」とおっしゃいました。日本で仕事をしてから留学して頂戴と。修了後、すぐに行きたかった私は、それでも芹沢先生の最初のご指示だったので、その通りにしました。先生はいつも先を見ておいででした。先生の言う通りにして正しかったと思っています。

パリ留学時代も先生はしょっちゅうお手紙をくださいました。留学中に溜まった先生からのお手紙は全て取ってあります。これらは私を励ますものでした。私もどこかへ出かければ先生へカードを書きました。だからいつも手帳には切手が入っています。住所はもう覚えています。ヴァカンスで旅に出た際には日記のように毎日カードを書きました。

コンサートにはほとんどいらしてくださいました。そしていつもお褒めの言葉をくださいました。私がああすれば良かった、こうしなきゃいけなかったと言っても、いつも全面的に肯定して褒めてくださいました。

昨年、先生の体の調子が悪くなり、入院され、そのお手伝いをすることになりました。それすらも誉れでしたし、勝手に行っても先生は必ずそこにいるわけですから、そこで会える、そこでお話しができると思うと、むしろ楽しい気持ちで、時間が空けば病院に通いました。先生はいつも素晴らしいお話を聞かせてくださいました。

先生はいつまでも自分のそばにいて、支え、道を示して下さるものと思っていました。私はそれを信じていたし、疑いませんでした。

先生は誕生日を6日後に控えた暑い夏の日、突然亡くなりました。姉弟子の野田ヒロ子さんからの電話でした。晴天の霹靂。すっかり良くなって退院してから一年経ったという先生へお祝いを送って間もなかったし、先生に褒めてもらおうと思って、自分のコンサートのプログラムや新聞の切り抜きを集めて送る準備をして、そのまま放っておいた位でした。

先生のお家で先生のお顔を撫でました。25年間、先生に褒めてもらってばかりでした。怒られたことなんて一度もありません。訪ねて来る方、皆さんが、先生の前で泣きながらお礼を言っていました。まったく先生にはお礼しか言うことがないのです。

先生の亡くなられた翌日、野田さんはブラームスのレクイエムの本番で、先生のお葬式の日、私はフォーレのレクイエムの本番でした。こうして歌わせて頂けるなんてよく出来ている、有難いと思いました。やっぱり先生なんだなぁ、と納得していました。

変な考え方かもしれませんが、先生が亡くなったことで、これからはより近くに先生を感じられるし、困った時や悩んだ時は先生にお願いすればいいんだ、と寧ろ安心するような甘えた考えさえ今はあります。

姉弟子たちは、先生を見ながら、いつまでも頼っていられないもんね、とおっしゃっていましたが、私はまだです。私は先生の門下の中では小さい方なのですから。先生、どうか私を正しい道にお導きください。いい加減、独り立ちしなさい!と、先生に初めて怒られたりして(笑)。

先生は、大きな光で生きる道を示して下さるような、そんな先生でした。私はどういうわけか、先生がおっしゃるにはご加護が多いらしいのです。だから貴女はいつでも人に親切にしなさい、とおっしゃいました。ご加護が少なくて困っている人がいたら、貴女が助けなさい、と。そして貴女が太陽でありなさい、と。

先生のようにそんなこと、私には出来るわけないけれど、先生がおっしゃるんだからやらなければと思います。私も学生さんに対して先生のようにありたいと願います。世の中生きていればどこかで北風に当たるんだから、自分はいつでも太陽であろうと。

芹沢先生は偉大な方でした。私は芹沢先生に15歳で出会えて幸せでした。素晴らしい音楽の世界に導いて下さり、生きづらい音楽の世界における美しい魂の保ち方を教えてくださいました。善く生きるとはどういうことか、教えてくださいました。

芹沢先生に25年分の感謝を捧げます。15から40。人生の大切な時を傍らで見守って下さり、ありがとうございました。先生は夏に生まれて夏に旅立つのですね。今日も陽射しが強く、暑い日です。

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先生のレッスン室

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私の師匠、芹沢文子先生
# by komaiyuriko | 2015-08-10 14:08