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閉ざされた庭

詩人の長田弘さんのインタビューからインスピレーションを得て。

ーパトリオティズムは宏量だが、ナショナリズムは狭量だ。ー

「日常愛(パトリオティズム)」とは何か。それは生活様式への愛着です。大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」

「戦争はこうして、私たちの生活様式を裏切っていきました。こういう確固とした日常への愛着を、まだずっと書き続けたかった。戦後70年の今、失われようとしているものがいかに大切かということを……」

「窓を開けると、風の音や誰かの声、新聞配達の音−−そういう日常が聞こえてくるんです」


フォレの晩年の作品『閉ざされた庭』(Le jardin clos)を聴きながら、私は思い出す。
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実家の二階、私の部屋。窓はいつも開いていて、風が通り抜ける。ごろりとすると、その窓から向かいの家の棕櫚の木の葉がパラパラと音を立てる。大抵、向かいのおばちゃんの声が聞こえる。息子のむっちゃんを叱っている声。鳩の鳴き声。これは私の子守唄。そのうち、母が外に出るー砂利道の石を踏む音。向かいのおばちゃんと無駄話をしている笑い声。

ー目を覚ますと、また同じ棕櫚の木の葉の風の音。遠く聞こえる食事の音、テレビの音。街灯の点くパチパチする音ともない、幽かな音。談笑の声。

これが愛すべき日常だ。

既に砂利道は舗装され、点いたり消えたりする街灯は取り替えられた。時代は変わるが人は変わらず。今でも向かいのおばちゃんの声が聞こえるー。

そこは私の侵されることのない、神聖なLe jardin clos…



by komaiyuriko | 2015-05-17 16:14