渋谷へ足しげく通う今日この頃…
2012年 06月 17日真顔の討論で爆笑させるのは彼にのみできる神業です。そのウディ・アレンがアカデミー賞の脚本賞を受賞した作品、「ミッドナイト・イン・パリ」を鑑賞してきました。

「アカデミー賞をとったのは良い驚きだったけど、自分の人生を変えることはないよ。現に今だって風邪ひいちゃってるしさ。」
ふふふ。笑えます。
この映画、大変ユーモアにあふれ、久しぶりに気持ちの良い映画を見た、という印象。映画終了後、なんだか拍手をしてしまった私。他にもパラパラ拍手が聞こえました。楽しくて悲しいことなんて少しもないのに、涙が出てしまう静かな感情の昂りってありますよね。この映画はまさにそんな感じ。
この映画によって、ベル・エポックのパリも、ルネサンスも、バロックも、ルイ王朝時代も、そして現在(いま)も、いつだって素晴らしい時代なのだと感じることができる精神の余裕と感受性の豊かさを常に持ち続けていないと損しちゃう!というアイディアを頂きました。
アホらしいほど洒落た映画です。この映画の脚本には正確さや精密さなんて全くありません。でも「そんなのどーでもいー!」と思わせる魔法がかかっているのだと思いました。
鑑賞後、恋をしているようなふわっとした感覚が続く素敵な映画。皆様もお時間がありましたら是非。渋谷Bunkamuraのル・シネマ他で上映中です。
あ~、やっぱりパリって魔法がかかっている街なんだな~。
同じくBunkamuraの地下にある美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ~美の理想~」というエキスポジションをしていたのでフラリと立ち寄りました。

「ほつれ髪の女に初めて会える」です。素晴らしいキャッチ。まるで昔から会いたくて会いたくて、それでも会えるわけなくて、それが今日やっと叶う!的な。
ワクワクすることもあまりなく終了。アモナヴィー(私の意見)よ、アモナヴィー。一番興味深かったのは最後にある「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」という9分のヴィデオ。映っている風景やストーリーに全く関係ない音楽を挿入していると感じさせることが続き、それがものすごく驚きました。例えばフィレンツェの景色とウィンナーワルツの組み合わせのような。感覚で選曲といった大胆さ。
ウディ・アレンの「それについては言及したら野暮!これはユーモアなんだから。」といった非常に洒落た目隠しと、そのヴィデオの「え、なんで今それ流しちゃうの?」というフィット感の無さは、後者に意図があったとしてもその効果は雲泥の差だなと思いました。
ゴッホ終焉の地、オーベル・シュル・オワーズにあるゴッホが最期を迎えた宿屋で見るヴィデオの素晴らしさ(ゴッホがテオに宛てた手紙の映像とシュトラウスの「Beim schlafen gehen」や「Morgen!」の挿入)を思い出しながら、渋谷の雑踏を歩きました。
そして、デ・ゼッサントのように昼夜逆転の生活をしているこの私がナント、これまた渋谷の映画館へモーニングショーを観に行って参りました。「メゾン~ある娼館の記憶~」というフランス映画です。

ちなみに、日本版のチラシには「観る者全てを虜にする、極上の官能の世界」と書いてあります。これはいかがなものでしょうね。「官能」の裏を描いた映画ですから、印象として「官能」はありませんでした。アモナヴィーよ、アモナヴィー。もっと深い映画だし、もっと傷つけられる映画だと思います。そこに真実がある、といったような。いつだって「真実」を見るには恐怖が伴うものです。時代の流れと共に変容して生きていかざるを得ない女性の儚さや悲惨な運命のようなものを眼前につきつけられるような映画です。

「吉原炎上」を見た時の感覚と全く同じ印象。

華やかで眩しいほどに美しい世界と人間の欲望渦巻く暗黒の世界は表裏一体。西も東も変わらないのだと思いました。そして犠牲になるのは女性ばかり。時代のせいにしてしまえばよいのでしょうかねぇ。まったく何なんでしょう。
映画は全体的に美しい映像に溢れています。こんなマネの絵のような場面も。

精神的に傷つけられ、鬱々とした気分になるけれど、見なければいけなかった映画だったと思います。建築や内装やコスチュームや装飾品のスタイルなども相当勉強になります。ヨーロッパ風俗文化の歴史を学ぶ映画としてはオススメです。
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