おふらんす文学プロムナード⑬ マラルメの3つの詩について
2012年 01月 25日お雛祭りのその日に、私が以前から自分のためにやらなければならない上に心底憧れていたフォレ&ヴェルレーヌの『優しき歌』(全曲)を歌うコンサートがあります。そこではもう一つ、ドビュッシーの『マラルメの3つの詩』(全曲)も歌います。私の愛するラヴェルにも同じく『マラルメの3つの詩』があるのですが、そのうち2つの詩はドビュッシーと共通です。ラヴェルの作品の方は以前コンサートで歌わせて頂いたこともあります。学生時代から熱烈に恋した曲でもありました。それなのに私のフランスの師匠、マダム・セリグったらこの曲にあまり興味がない感じ。きっとそれはドビュッシーと比べてしまうからだと勝手に推察しています。
ちなみにフランス歌曲には同じ詩に何人もの作曲家が曲をつけ、どれも名曲となっているものがたくさんあります。それだけその詩には、作曲家のインスピレーションを喚起させる凄みや美しさというものがあるのだと思います。ヴェルレーヌの「グリーン」、「月の光」、「マンドリン」、「牢獄」、「巷に雨が降るごとく」、「そはやるせなき恍惚の」、ボードレールの「旅への誘い」、レニエの「雨に濡れる庭」、「秋の夜」などなど。パッと思い浮かんでもこれだけあります。まだまだ沢山あるでしょうね、ゴーティエ、ユゴー等。
例えばフォレとドビュッシーがかぶっている詩というのはたくさんあります。どちらの作品も良くてこんなに感じ方が違うのに「どちらも素晴らしくて選べない!(別に選ぶ必要はないんだけどね。)」なんて、苦悶の声を上げることもしばしば。
それがこの「マラルメの3つの詩」に関しては、ドビュッシーに決まりだね、的なご意見ばかり小耳に挟むではないですか!私の心は大変痛みました。O triste,triste mon âmeですよ。(全然関係ないけどヴェルレーヌより)
この場合では、すでに在る優れた詩が、ドビュッシーさんという魂(媒体)とラヴェルさんという魂(媒体)を通り抜けて曲となって出てきたわけです。当然、全く違う作品が出来上がりますよね。あとは趣味の問題です。自分の趣味に合った方が好きだし、また逆にもう一方の解釈の違いに驚いて感嘆し、そちらに心を寄せてみたり(笑)。ですからドビュッシーの方がいいという単一的な見解ばかり聞かれると、ラヴェル命のタトゥーを心に刻んでいる私にはちょっと不服なのであります。
「グリーン」なんかですと、若い頃の私はフォレの方が好き。早朝の全てが生まれ変わったフレッシュさと、若者の純粋な恋心が持つフレッシュさが相俟って最高だと思っていました。でもドビュッシーの方が官能的で好きになり、今では本当にどちらかなんて選べない究極の2曲です。「そはやるせなき恍惚の」はドビュッシーの方が断然好き。「マンドリン」は100%フォレ。アーンはあんまり~。デュポンのもなかなか素敵で私は好きですねー。こんな感じで自分が詩を読んだ時の感覚に合った曲の方が好きとなります。
なのにラヴェルの「マラルメ」には称賛の声があんまり聞こえないじゃないの!!
私は100対0でラヴェルです。ラヴェル最高。100万点です。譜読み中の私はドビュッシーの「マラルメ」をさらいながら「ドビュッシーったら一体どういうつもり?!」と、心の中で軽く30回は言いました。譜読みが難しすぎて「ドビュッシー、あったまきた!」と悪口を言ったりもしました。
今日、ピアニストさんとの合わせでドビュッシーの「マラルメ」が大分体に入りました。
「あれ、なんかいいな。。。」
と最近図らずも感じている私でしたが、今日はっきりと、
「これはヤバイ、素晴らしい。」
と気付きました。
特に2曲目のラヴェルと共通の詩、「空しい願い」に関しては、以前マダム・セリグが言っていた「この曲はFête galanteだから。」の意味がピカーーーンと分りました。
それを言われた時はラヴェルの「マラルメ」のレッスン中でした。私の反応は「ふ~ん」という程度。よくよく考えても、「ふ~ん、そうなんだ」でした。それが今日、さっきですよ、さっき。「Fête galanteってこういうことか!!」とまさに頭の中で電球が点灯しました。
すると曲が余りにもクリアに見えて、色合い豊かに洒落豊かに感じられ、歌い方も180度反対側となりました。Fête galanteを全身で感じつつ歌うと今までとは全く別の曲になるではありませんか!うん、もう確実に別の曲です。
難解な曲を勉強していて、「分かった!」と思った時、やっと目が見え始めます。混沌とした暗闇に一筋の光が射す感じ。その「分かった!」を得てからがスタートです。さっき、ようやくこの「分かった!」を迎えました。おめでとう。ありがとう。
結論ですが、ラヴェルの「空しい願い」は素晴らしいということ。結局ね。そちらにはもっともっと得体の知れないイマジネーションと不気味さ、セピア色の美しい風景とねじれた思惑や恋心や嫉妬心、そして純粋さがあります。中世などの古い時代のきな臭さを感じます。そしてドビュッシーの方は完全にFête galanteで彩られていて、これまた素晴らしい作品であるということ!ユーモアといったら言い過ぎかもしれませんが、ラヴェルのような深刻さはないと見ました。もっと美しさや優雅さに長けていてその上澄みのような感じ。中世っぽい雰囲気はリズムや音階、和声でガンガンに醸し出してはいるものの、とても現代的(ちょっと言葉が見つからない)、プルースト的(これ正解)な感じがしました。
ごめんね、ドビュッシー。悪口言ったりして。
「ドビュッシーの音程のせいで歯が痛い(怒)。」なんてもう言わないね。
この勝負、引き分け。
あ~、楽しかった。この楽しさ、この熱の出るような法悦。
「これがフランス歌曲の醍醐味じゃーーーーー!!」という気持ちで、雪の凍結した道を、熱を発散させながら自転車をぶっとばす私なのでありました。
最後に私の「一人相撲日記」を読んで下さった方へ、感謝の気持ちを込めてマラルメの「空しい願い」をプレゼントします。
無益な願い(加藤美雄訳)
王女よ、あなたの唇が触れて、この茶碗に
うかび出るヘベーの運命に嫉妬した私は、
情炎に燃えながらも、聖職者の慎むべき身ゆめに
セーヴル焼に裸身をあらわさないのです。
私は、あなたの髭を生やしたむく犬ではないのですし
香料入りのボンボン、口紅、しゃれた将棋の駒でもないが、
私の上に注がれたあなたの閉じた伏眼をしっている。
金髪の神業のような編み手こそ、金銀細工の名手です。
わたしたちを名づけて下さい……木苺の香に豊かな微笑が
見さかいもなく誓いを喰み、妄想に鳴く
手馴れた仔羊の群と一体となる、あなた。
わたしたちを名づけて下さい……扇の翼持つ愛神(アムール)が
笛を手に、この羊小屋を眠らせる私を描くために。
王女よ、あなたの微笑みの番人と、わたしたちを呼んで下さい。
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