夏の人

中3の暑い夏、東中野の芹沢文子先生の御宅を母と二人で緊張しながら訪ねました。東京音大附属高校を受験するにあたり、ご縁あって芹沢先生を紹介されたのでした。

「東中野の日本閣方面の出口に出て下さい。そうしたら、その辺りの人に家までの行き方を聞いて下さい。」
衝撃の道案内でした。今はコンビニになっている、昔ながらの商店に入り、お店の方に芹沢先生のお宅を伺ってみると、本当にそこにいた人皆お家を知っていて、無事にたどり着いたのでした。

立派なお家に広いお庭、そこに大きな木がありました。それはのちに芹沢光治良先生のご本で泰山木だと知りました。庭に離れがあり、そこは芹沢先生のレッスン室でした。母屋の二階で、ロッキングチェアーに座り庭とそこにいる私たちをにこにこ眺めている、光治良先生がいらっしゃいました。

どんな怖い先生が出てくるのかと、勝手にドキドキビクビクしながら玄関で待っていますと、背の高い(本当はそんなに高くはなかったが、その時は大きく見えた)痩せ型の優しげな微笑みをたたえた芹沢先生が、高い声で迎え入れて下さいました。この時に私の運命は間違いなく決まったのだと確信しますが、もちろん何も分からない私は、ただただ緊張して、中に入りました。

高校生の私のレッスンでは、あの高く優しい声で「元気ですか〜?好きな授業は何ですか〜?」「困ったことはありませんかー?」「学校は楽しい〜?」と、この調子でした。好きな授業は西洋音楽史だと答えると、「あらー、貴女偉いのね〜。」とおっしゃったことを覚えています(笑)。大学生になると、うまく歌えた日には「いつもと何が違う?」とよく質問されました。コンサートに行ったと話をすれば「何がどんな風に良かった?」と。聴く耳を育て、考えさせるレッスンでした。院生になると「今日も素敵な歌をありがとうございました〜。」と、レッスンの終わりに毎回のようにおっしゃいました。レッスン室を出ると、帰っていく私が見えなくなるまで、いつも欠かさず入り口で立って見ていてくださいました。

大学を卒業する時にお礼をすると、先生から、ミキモトの真珠にダイヤモンドをあしらったネックレスを頂戴しました。これはいわゆる恩寵ーgrâceーだったのだと感じています。私の一生の宝物。

院も修了し、留学する時、先生が初めて私に「お願いがある」とおっしゃいました。日本で仕事をしてから留学して頂戴と。修了後、すぐに行きたかった私は、それでも芹沢先生の最初のご指示だったので、その通りにしました。先生はいつも先を見ておいででした。先生の言う通りにして正しかったと思っています。

パリ留学時代も先生はしょっちゅうお手紙をくださいました。留学中に溜まった先生からのお手紙は全て取ってあります。これらは私を励ますものでした。私もどこかへ出かければ先生へカードを書きました。だからいつも手帳には切手が入っています。住所はもう覚えています。ヴァカンスで旅に出た際には日記のように毎日カードを書きました。

コンサートにはほとんどいらしてくださいました。そしていつもお褒めの言葉をくださいました。私がああすれば良かった、こうしなきゃいけなかったと言っても、いつも全面的に肯定して褒めてくださいました。

昨年、先生の体の調子が悪くなり、入院され、そのお手伝いをすることになりました。それすらも誉れでしたし、勝手に行っても先生は必ずそこにいるわけですから、そこで会える、そこでお話しができると思うと、むしろ楽しい気持ちで、時間が空けば病院に通いました。先生はいつも素晴らしいお話を聞かせてくださいました。

先生はいつまでも自分のそばにいて、支え、道を示して下さるものと思っていました。私はそれを信じていたし、疑いませんでした。

先生は誕生日を6日後に控えた暑い夏の日、突然亡くなりました。姉弟子の野田ヒロ子さんからの電話でした。晴天の霹靂。すっかり良くなって退院してから一年経ったという先生へお祝いを送って間もなかったし、先生に褒めてもらおうと思って、自分のコンサートのプログラムや新聞の切り抜きを集めて送る準備をして、そのまま放っておいた位でした。

先生のお家で先生のお顔を撫でました。25年間、先生に褒めてもらってばかりでした。怒られたことなんて一度もありません。訪ねて来る方、皆さんが、先生の前で泣きながらお礼を言っていました。まったく先生にはお礼しか言うことがないのです。

先生の亡くなられた翌日、野田さんはブラームスのレクイエムの本番で、先生のお葬式の日、私はフォーレのレクイエムの本番でした。こうして歌わせて頂けるなんてよく出来ている、有難いと思いました。やっぱり先生なんだなぁ、と納得していました。

変な考え方かもしれませんが、先生が亡くなったことで、これからはより近くに先生を感じられるし、困った時や悩んだ時は先生にお願いすればいいんだ、と寧ろ安心するような甘えた考えさえ今はあります。

姉弟子たちは、先生を見ながら、いつまでも頼っていられないもんね、とおっしゃっていましたが、私はまだです。私は先生の門下の中では小さい方なのですから。先生、どうか私を正しい道にお導きください。いい加減、独り立ちしなさい!と、先生に初めて怒られたりして(笑)。

先生は、大きな光で生きる道を示して下さるような、そんな先生でした。私はどういうわけか、先生がおっしゃるにはご加護が多いらしいのです。だから貴女はいつでも人に親切にしなさい、とおっしゃいました。ご加護が少なくて困っている人がいたら、貴女が助けなさい、と。そして貴女が太陽でありなさい、と。

先生のようにそんなこと、私には出来るわけないけれど、先生がおっしゃるんだからやらなければと思います。私も学生さんに対して先生のようにありたいと願います。世の中生きていればどこかで北風に当たるんだから、自分はいつでも太陽であろうと。

芹沢先生は偉大な方でした。私は芹沢先生に15歳で出会えて幸せでした。素晴らしい音楽の世界に導いて下さり、生きづらい音楽の世界における美しい魂の保ち方を教えてくださいました。善く生きるとはどういうことか、教えてくださいました。

芹沢先生に25年分の感謝を捧げます。15から40。人生の大切な時を傍らで見守って下さり、ありがとうございました。先生は夏に生まれて夏に旅立つのですね。今日も陽射しが強く、暑い日です。

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先生のレッスン室

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私の師匠、芹沢文子先生
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by komaiyuriko | 2015-08-10 14:08